宇宙と宇宙をつなぐ数学

このオヤジの心の中に「まっすぐな芯がある」とメモすれば誰も信じないだろう。だが楕円曲線がICカードの中にある、とメモすれば多くの人はいったん思考を止めるに違いない。
「IUT理論の衝撃」という副題のこの本は、こんな話を口火にしてその理論を”解説”しているものだ。

IUT理論とは端的にいえば、「足し算と掛け算を分けてとらえる」という理論らしいのだが、とても難解で世界で本当に理解できている人はそれほどいないという。どうやら新しいパラダイムの提示らしい。
それにも関わらず、説明がきわめて平易だったためだろう、わくわくしながら一気に読み進めることができた。

いつかスナックの気に入ったお姉さんに、片目をつぶりながらこの話をすることもあるだろう。だがとりあえずは日常でこの理論に触れることは絶対にないのだが、ふと疑問がわいてきた。
じゃあ、なぜこの本を書店で手にし、読んだのだろう。

そもそも読書とはそこで得られた知識をいままので知識と照らし合わせ、関連付け、補正し、新たなネットワークを作るための作業だと思う。

なんらかの形で公にしない限りは、あるいは公にするにしてもそれが意味あるものでない限りは、何冊本を紐解いても、まるで粘土の塊をペタペタ重ね合わせて行く作業のようなもので、それは大きな意味のないものを作り上げていく過程でしかない。

そんな無駄なことなのに、なぜ多くの人は読書という行為を続けるのだろう。
思うに、あるときからこの塊は、個々人のなかで、ある種の味わいを持った趣のある形に組みあがるのだ。そして組みあがったものをしみじみ見て、それぞれがそれぞれに満足するのだ。そう、きっとこれが”趣””味”ということの意味なのだろう。

そしてもうひとつ、かつ本質的なことがある。それは、カウンター越しのお姉さんに語れる引き出しのストックがまたひとつ増えることだ。これなくして読書はない、と歪んだ心のなかでオヤジは叫ぶのであった。