羊の血の輸血

メモ書きも5,6日目になるとだんだん要領が分かってきたが、安易な構想は慎むべきという反省のメモ。
 今日クリニックのスタッフ-あらかじめ断っておくが決して医療職ではない-から、輸血されたらその血液はずっと自分の身体を回っているのかと質問された。ヒトの赤血球の寿命はおよそ120日であることを話し、ついでに血液循環を見いだしたハーヴェイの話や循環というものが理解され始めたときは、ヒツジの血液をヒトに輸血したこともあるという話をした。その次にスタッフから出た質問が今日のメモの中心-そのヒツジの血を輸血されたヒトはどうなったのですか?


 亡くなったんだろうね、とやさしくいってはみたものの、本音は、異種間輸血だぞ。当然死んだにきまっているじゃないか、で、医学知識が普及していないことに正直、驚きを覚えた。地震でクリニックが崩壊し、ボクが大出血したときは、ヒツジが近くを通らないことを切に願うばかりだ。
 でも似た話はいくつもある。先日おしっこが出ないと来られたおじいさんは、これはイノシシのたたりだろうかと真剣に聞いておられたし-ちなみに今年は16頭のイノシシをしとめたそうな-そして今日も、年老いた父親はひょっとしたら癌じゃなかろうかと、新聞の医療面のところの切り抜きをもって相談にこられた中年の女性がいたが、今後のやりようについて結構丁寧に説明したつもりでも、医学的な知識がかなり不足されているようで十分理解されたかどうか、分からない様子で帰られた。
 ここまでで書いて、全く関係のない二つの問題を提起することが今日の構想。
 一つは、やはり医学医療知識を普及することを、今以上に社会としても個人としても努めなければならないんだなぁ、ってこと。
 もう一つはプライバシーに関すること。詳しい動きは知らないが今、日本医師会で、HPを持つ医療機関が患者のプライバシーを冒していないかをチェックする動きがあるらしい。もちろん喜ばしいことだ。それどころかむしろ遅いぐらいじゃなかろうか。患者を題材に日々の診療を綴った医者が書いた本があるが、あれは患者の許可を得ているのかなと、前から疑問に思っていた。患者の名前こそ出てはないが、きっと書かれた本人が読めば自分だと分かるに違いなく、医師会はいままでどう対処してたんだろう?
 自省するに、ここのメモには三名の登場人物がいるのだが、それぞれのプライバシーを冒してはないのだろうか。クリニックのスタッフについては、あとで述べるように名誉を辱めるようなことはしていない。中年の女性については、時間を取ったがカルテを作ったわけでも、ましてや診察代をいただいたわけでもなく、これはチャラだろう。イノシシのお年寄りに関しては、ひょっとしたら可能性があるが、仮にそうだとしてもまだ医師会の確たる規範がない状況で許してもらえそうな気もする。
 まぁ、こんな感じで書こうと思ってたのだが、思わぬ大きな落とし穴があった。ヒツジの件のウラをとるためにネットで調べていたら(先のハーヴェイのサイトを参照)ヒツジの血液を輸血された人-青年らしい-は快方に向かったというのだ。
 医学知識を普及させなければならないのは、自分自身であり、おろかな人物というプライバシーが守られてないのも自分だという、大変おそまつなお話でした。

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