電子カルテ

数ヶ月前、電子カルテを自作するにあたって展示会を訪れたことがある。電子カルテを作ろうと思い立ったのはいいが、電子カルテをみたことがなかった。いくらなんでも情報が少なすぎると、ときどき送ってくるこの手のDMの案内に従って、日曜日に会場へ足を運んだ。ビルの一室にある3社が協同で開催しているという会場の入り口に立つと、その場に居合わせた20-30人ほどのスタッフの視線が一斉にこちらに向けられた。半数以上のスタッフは机について弁当を開いている。ほかに誰も見学者はいないようで昼休みかとも思ったが、手にしたDMにはそんな時間制限など書いてなく、かまわず足を踏み入れた。


通りすがりのおっさんのひやかしと思われていたのは間違いない。というのは弁当は開かれたままで、机に腰掛けたりして談話していたスタッフもそのままの状態でこちらの動向をうかがっていたからだ。モミ手をしてくれとまではいわない。せめていらっしゃぐらいの声ぐらいかけて欲しかったが、飲み屋ではおねえさんから警察官かヤクザ屋さんにしか見えないといわれる輩としては仕方ないかとあきらめ、勝手にディスプレイしてある電子カルテに近づきながめていた。ようやく事態を察したスタッフらは弁当を仕舞い始め仕事モードに戻ってくれ、それから順に3社の説明が始まった。ペンタッチ入力だとか、画面情報のドラッグ移動とか、こちらのスキルでは太刀打ちできない仕様にあこがれはしたが、なにかしっくりしない。そのうち夫婦と小学生ほどの子ども2人の一家が来場し、スタッフらが応対し始めたのを機に、電子カルテに対する漠とした思いと、なぜスタッフらはその一家を医者の家族とただちに判断したのだろう、という疑問を抱きながらその場をあとにした。





そして気付いたことがある。紙カルテにもいい点があるではないか。そこには内容が連続して記載されている。いわばパラパラ漫画のようにさっと患者の動きが把握できるのだ。展示されていた3社に限らずネットでの情報をあたっても今の電子カルテはウィンドウにしばられている感がぬぐえない。見る側、読む側の思考の動きがウィンドウという枠のなかで制限されているのだ。
ということでこんな感じのカルテを作ってみた。右画面で入力しそれが左画面に紙カルテ風に記載される。変更された内容があれば altered と表示され、そこをクリックすれば訂正内容が現れる、という具合だ。紙カルテの利点を十分いかしたものになっていると思う。



とはいえ紙カルテに抱くこのような発想自体がすでに古いのかもしれない。iPADのように電子画面で読書をすることに違和感を感じるようでは、そのうち時代についていけなくなるのだろう。やがて古い人間として回りから白い目で見られるかもしれない。でも展示会のスタッフの視線で訓練を受けた身としては、きっと持ちこたえることができるだろう。
ということで、この電子カルテを「古手のカルテ」と命名したい。

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