災難

診療手伝いに行っている病院での話。そこのレントゲン技師さん、元旦にある神社へ初詣に行かれたそうな。神社の駐車場に車をとめ、社にたどり付くまでの長い階段を登りお参りを済ませ戻ってみたところ、自分の車から数メートル離れた道を挟んだところに駐車してある車が炎上していたという。

神社の名前と元旦を頼りに検索すると、くだんの動画がいくつも見つかった。確かに白い車のボンネットから炎が上がっている。

初火の出を見たなどと、周囲には不埒なことを考える輩もいたことだろう。だが大半の人が人として車の持ち主のことを不憫に思われたことだろう。「正月なのに」
そしてこうも思われたはずだ。
「お参りに来ているのに」
 
そうなのだ。いくら神社仏閣に息災をお願いしても、災難はやってくる。第一、もうすでにわれわれはコロナ禍という大災難のまっただなかにいるのだ。神仏はこの災厄を抑えてくれない。これだけ裏切られているのに、なぜ人は祈りをささげるのだろう。ある意味愚かな行為のようにも映る。

もう一度確認しよう。大事なことはうがい、手洗い、マスク、ソーシャルディスタンスを保ち、大人数での会食を控え、ワクチンを接種して不要不急の外出を控えることなのだ。

これさえ守っていれば大丈夫。もちろん院長もちゃんと守っている。

だがそうはいっても昨今、コロナ患者は急増するばかりで、不安がにわかに大きくなっているのも確かだ。
だから、玄関にある真新しい破魔矢に手を合わせることも大切な日課になる。


画像元(https://welcome-kurume.com/spots/detail/8b8be88c-7e83-4b47-ad84-382e5d64b622)