星新一賞

今年の9月、駅前の書店で何気なく手にした科学雑誌の片隅に「星新一賞」の応募案内があるのに気づいた。星新一氏はいうまでもなくショートストーリーで有名な今は亡きあのSF作家。


二十年近くも前、小説の作法を数年かじったもとのして、食指が動いた。
理由はとくにない。ひまだったからとか、自由にできる時が手元にあったからとか、あるいは仕事が忙しくなかったからとか、いろんな条件がたまたま重なったからだろう。あえてひとつ挙げるとすれば今年、愛する年老いた母が他界したことが大きな理由だったかもしれない。
さっそくそんな老婆を題材にした原稿用紙20枚近くの話を数日で書き上げた。題して「ぱられるわーるど」。
中学生の双子の子供らに読ませても評判がよく、「お父さんは来年から作家だね」と無邪気にはしゃぐ子供らに印税生活の話を話して訊かせ、さっそく自信をもって応募した。

賞を案内するホームページで最終審査の発表は来年の2月ごろとアナウンスされていて、その状況は、たとえば応募者が何人だとか、今は何次の審査だとか、等々遅々としたものであるが伝えられる。そして今月上旬、最終審査に残った応募作品の題名が発表になった。

わくわくしてサイトを訪れたが、なんと、そこに「ぱられるわーるど」の名は見当たらなかい。SF小説の応募だけになにかの仕掛け、たとえば白地の背景に「ぱられるわーるど」の字が白く書かれているのではないか、など思い当たり画面を白黒反転させ、同時に自分の目も白黒させながら探してみたが見当たらない。

ああ、落選したのだ。なぜこれほど有能な才能がおぼれてしまうのか、納得が行かない自分を受け入れるのに缶ビール1本飲み干すほどの時間がかかってしまった。

まぁ、自分はいい。あともう1缶飲めばすっかり元の自分に戻る。不労所得を夢見る子供らにはなんといいわけをすればいいのだろう。

星新一賞ならぬ森進一ショーなら、おふくろさんを扱ったこの小説は必ずや脚光を浴びていたはずなのに、なんて、子らには通じないか。
もっともほかの年代の人にも同じだろうけど。

ってなことをメモっていると、やはり賞が取れない理由が分かってきたので、もう一缶ビールを開けることにした。