意外性

週に数冊、学会誌や医学雑誌が届く。だらだらと目を通し、少しでも今後の診療に役立てばと、知らない箇所があれば赤線を引くのだが、ほとんどのページが真っ赤になってしまう。これじゃ整理がつかないからと機会をみてはサーバー上にある検索機能のあるファイルにそうした箇所をメモしていたのだが、どうも使い勝手が悪く処理できていない真っ赤なページが手元に溜まっていた。


ところが最近フリーの備忘録用のソフトが、それもきわめて使いやすいものが手に入り、早速それを使ってせっせとメモに没頭する日々を送っている。そこで気付いたことがある。
そもそも情報とはなにか、今読んでいる本「虹の分解」(Rドーキンス著)によると専門的にはこういうことらしい。
「情報とは意外性の度合いであり、ある事象の起こる確率の逆数で定量化される。一方冗長性は、情報とは反対の概念で、意外性の低さを表す。すなわち、冗長性のあるメッセージやメッセージの一部が冗長であることは、受け手にとって有益ではない。なぜなら、彼らはその情報をすでに知っているからだ」
たとえばこの院長は聖人君子であるという情報はほとんど価値がない。それは誰もが知っているからだ。ところがその聖人君子の院長が実はアホだったという情報は、意外性をもって人々の間を席巻することになるだろう。
くだんのメモに話を戻せば、つまりは医学知識に関する個人的な意外性をピックアップする作業を行っていることになる。そもそも学会誌や医学雑誌が医者らしからぬこの院長のところに届くというところから意外で、さらに本を開けば連続する意外性でまさにノックアウト寸前の状態であったのだ。それがどうだ。便利ソフトを使ってメモを始めるとあれだけ赤かったページの余分な箇所がポイポイ切り捨てられていき、そして重要なポイントが絞られ、つまりは意外性がパソコンに蓄えられていくではないか。
なぜこんなことができるのか、考えてみて意外なことに気付いた。
ただ単にキーボードを叩くのがめんどうだけなのだ。それしかない。
なるほど、意外なところに意外性をあぶりだす秘訣があるのだなと聖人君子は感心するのであった。

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