淡麗


 ボクはビール党で、いつもたしなむのは某メーカーの”淡麗”生。で、今日はギターを弾きながら少し口にしてたんだけど、今日のメモは、”淡麗”エトセトラということで。
 そもそも”淡麗”ってこんな字だったっけ? ”たんれい”ってワープロで打つと”端麗”でしか出ない。
 でも端麗というのは、容姿端麗とかに使うように、きっちり麗しいという意味だよね。”端”のほうだけ、つまりちょこっと麗しいとかいう意味を想像させるような”端”を使うのは、なぜだろう。
 で、ネットで調べたらどうも、”端”というのはしっかり根付いたという意味があるみたい。要するに、容姿はシッカリ、ハッキリ麗しいというわけね。
じゃあ、なんで”淡麗”なの?


 きっと、ネーミングについての議論はこう交わされたんじゃなかろうか。
「主任、やっぱり、味が淡泊で麗しいから淡麗なんてのはどうでしょうか」
「俺たちがこの味を見つけるのに、何年かかったと思ってるんだ。つらかった幾度の失敗を思い出せ。淡泊の淡の文字なんか、俺たちの開発商品にはふさわしくない。どうせなら”臥薪嘗胆”ぐらい付けたいくらいだ」
「主任、すいません。わたしが間違ってました。じゃあ麒麟端麗臥薪嘗胆ってのはどうでしょう」
「……。ようし、やっぱり淡泊な漢字も入れよう」
 この”淡麗”生との出会いは、とても思い出深い。クリニックを始めて何年目かの、したがって今よりもっと貧乏なとき、知り合いの先生とヨットをご一緒したことがある。
 もちろんヨットは、その先生の所有物。大きさを表現する術を持たないけど、船内に何人ものベットが用意してあるくらいの大きさのヨットで、その航海には何人ものクルーが必要となる。
 大きな屋敷に出入りする人のほとんどが使用人であるのと同様、ヨットに乗っている人は、持ち主を除いてみな家来。ご一緒したとは書いたけど、ようは家来として乗り込んだわけでして。
 で、その先生のヨットだけでなく、主と家来を乗せたほかのヨット数挺と海洋レジャーとしゃれ込んだ。長崎県の壱岐に一泊したあと、翌日博多湾へ帰港。途中、能古の島に寄港したときのこと。
 ヨットを乗せ合い、最後の昼食のとき。違う船の殿様が、これがうまいんだよねって出したのが、淡麗生だった。
 そういう商品があるのかも知らなかったが、とてもおいしく感jじ、さらにその殿様が吐いた言葉が淡麗との出会いを忘れられないものにした。
「安くてもうまいんだよね」
 ああ、お金持ちも、そう思うんだ。そう感激し、初めてのビールの味に酔いしれながら、ボクもつかのま”太陽がいっぱい”の気分に浸っていたわけでして。

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