かほナイトハイク


嘉穂ナイトハイクというウォーキングの大会があると人づてに知ったので先週の土曜日参加してきた。
嘉穂とは福岡県の真ん中あたりに位置する地域で、そこで夜中にハイクするという企画である。ネーミングは長崎ちゃんぽんと同じ発想だ。そして長崎ちゃんぽんが固麺なのかどうか食べてみないと分からないのと同様、このハイクも参加してみないとまったく判断しがたいものであった。
というのは会のホームページにあるハイクの紹介はこれだけ。
「嘉穂ナイトハイクは福岡県嘉穂地区を夜通しかけてひたすら歩きます。昨年同様総合運動公園から出発します。コースは20kmコースと40kmコースがあります。思い切って40kmコースにチャンレンジしてみては?!(^o^)」
はい、そうしますと絵文字にだまされて40kmにチャレンジしてしまった。


出発は夜の7時で20キロと40キロコースは途中まで一緒。それまでのゆるやかな上り坂での1000人近い参加者のにぎわいは、それから先、急に途切れる。そしてそれからが本格的な試練の始まりだった。距離だけの問題ではない。そもそもハイクとは俳句のひとつでも捻りながら歩くものとベタな解釈をしている。だがこのナイトハイクはまったく違った。行けども行けども坂道の林道で、つまりは山登りそのもののコースだったのだ。
患者が怒って院長の説明の前に立ったことは見たことがあるが、後悔が立つのは見たことはない。それでも後悔は先に立たないことを思い知った。しばらく息を切らしながら自分を恨んではみたものの今からではどうしようもなく、仕方ないかと途中で考えを改め、あとで知った標高差400mの克服へ向けて足を進め続ける。
やがて山登りのリズムが出てきたせいもあってか-100m先までも照らす強力ヘッドライトをしていたのだが-林道のなかや、瀬の音のする暗闇のなかへヘッドライトの光を頭を左右に振り、あるいは上を見上げて投げ入れる余裕さえ出てきてしまった。これがいけなかった。
人は暗闇を覗いてはいけないのだ。確かに感じたのだ。なにか得体のしれないもの、出会いたくないもの、この世の物ではないものの気配を。
普段からアルコールの力しか信じない酔い物論者だと自負しているが、それでも感じる。
実体を確認しようとさらに杉林の中に光を投げ入れる続けることができたのは、前後に見える参加者の灯りのおかげだ。患者に難癖をつけられたことがあるように、その日は前後の参加者から勇気をつけられたわけだ。
だが事態は一変した。夜の12時を回ったころだったと思う。リュックの装備の扱いに手こずり、ふと気づくと前後に誰もいないことに気づいた。自分のヘッドライトしかまったく光がない暗闇の林道に一人きりになってしまったのだ。
もちろん後ろにはだれかがいる。でも勇気をつけてくれる参加者ではない。それは恐怖を与えるもの。顔のすぐ横かもしれない。光はないがその気配は分かる。暗闇とはそういうものだ。明るさにエネルギーがあるように暗さにもエネルギーがある。酔い物論者はそう考える。
それからというものただただまっすぐに頭を固定して、残る力を足に集中しきっとあるはずの前方の灯りに向かって歩みを急いだ。
10分近く経っただろうか、ようやく灯りが見え出し、事態は終息したのだが、そんなこともあってかやがて足がバテてきた。前に出そうとしてもなかなか進まない。
「もうリタイアしたらどうだ」
酔い物論者の耳に悪魔がささやきかける。
だがあの暗闇のなかにいただれかに比べるとこんな悪魔は雑魚も同然。というわけで夜中のちょうど2時に無事ゴールにたどり着くことができたのであった。

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