包丁で人の命が奪われる事件は、年にどれくらい起こっているのだろう。そのうちの一件に、院長もいずれくわえられるのだろうか。
この疑問を抱いたのは、料理するカミさんの姿を見ていたからだけではない。英国の医者たちが長包丁を禁止してくれと国に訴えてるという記事が目に留まったからだ。
ダメ
角膜
インドの眼科医たちがある映画の上映禁止を裁判所に訴え出ている。
角膜移植された主人公が幽霊を見るという内容の映画だ。ヒンズー語の題名は「Naina」。邦題にすれば「眼」になる。
20年間光を失っていた女性が移植で視力を回復する。だが彼女の見たものは角膜の提供者が生前見たり経験したりしたものだった。
この映画を見ることで、角膜の提供者や移植希望者にいらぬ誤解や恐怖を与えるというのが、眼科医たちの主張だ。
ラブレター
ラブレターを自動作成するプログラムが中国で人気を博している。自分と相手の呼称を入れるだけで、1万通りの異なる内容が出てくる。すでに2万回以上もダウンロードされているという。開発者いわく、「悪くない出来だ。これで誤解されずに心の内が表現できるやつもいるだろうさ」
血液型
ほとんど日本だけでやられている血液型占いについて、海外の科学系サイトが取り上げている。せっかくだから下に訳したものをリンクしている。
たわいもない占いなら、笑って聞き流すことができる。でも血液型占いは少し事態が違う。ときには差別にもつながることが起こっているのだ。
記事はそういう視点に立ったもので、別に目新しいものではないのだが、この血液占いの原型がナチスから取り入れられたということは知らなかった。そのくだりはこうだ。
ウォーリー
キーや携帯をはじめ、ものの置き場所がときどき分からなくなることがある。仕方なくどこやここやと探し始めるのだが、そうしたとき、なぜか時間の無駄を強く意識する。
といって捜し物が嫌いというわけではない。
同じような二つの絵を比べて、その間違いを探す”間違い探し”や、有名な「ウォーリーを探せ」など、ゲームとしてなにかを捜すときは、時間など気にせず没頭できる方だ。
兄弟
院長には幸か不幸か兄姉がいる。幸は院長に兄姉がいることで、不幸は兄姉には院長がいることだ。もちろんオベンチャラに決まっている。だが、こうしたお世辞をいえるようになったのは、面倒見のいい兄姉が人生をいろいろ教えてくれたからだ。もちろん、このセリフも社交辞令に決まっている。
とまぁこんな具合に兄姉のなかとはいえ、いくらでも相手をおだてることができるはずだ。
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四色問題
三色パンのどこから口にすればいいのか、五目飯のどの具から箸をつければいいのか、頭を悩ませる人もいるだろう。だが、それはすぐに解決する。
同じように数字がつく問題とはいえ、四色問題は違う。数学者は150年間も頭を悩ませてきたのだ。
地図にある国に隣同士が同じ色にならないように色を付けていくとすると、最低何色あれば事足りるか、というのが四色問題だ。たとえば地図に100の国があるとすると、100色の色があれば、みんな違う色に塗り分けられるから、当然隣り合う国は違う色になる。直感でも99,98色あたりでも、できるような気がする。じゃあこの数字をいくつまで下げることができるだろう。このことを150年もの間、数学者は考えていたのだ。
数学者には意外にケチが多いのだろうか。少々クレヨンが多くなってもいいじゃないか。これじゃ、最低生活を送るために必要な月々の小遣い問題と一緒だ。もう少し小遣い上げてもいいだろう。そう強く主張したい。